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ピアニスト佐山雅弘さんが11/14に逝去されました。 ジャズ界だけでなく芸能全般に深く関わった方でしたので私よりも長くお付き合いのある方やファンの方が大勢いらっしゃいます。 2017年以降、私が音楽監督として関わった佐山雅弘ニュートリオB'Ridgeのことを書きたいと思います。 1980年生まれの私と同世代のミュージシャンにとって、佐山さんの印象はなんといっても90年代のPONTA BOXでの活躍だと思います。 リーダーでドラマーの村上PONTA秀一さんとフレットレスベース水野正敏さん、後年ベースはバカボン鈴木さん、岡沢章さんの布陣。 フレットレスベース奏者である私は学生時代PONTA BOXの「Live At Montreux Jazz Festival」をチェックしたものです。 村田陽一さんのプロデュースで制作された2001年の佐山さんの作品「ABOVE HORIZONS」はマーク・イーガンのフレットレスベース、ミノ・シネルがパーカッション、ジャコの曲などを演奏していたのでこちらもよく聴きました。 ですが、佐山さんの本領は作編曲、特に歌手とのコラボレーションだったと後年知ります。 忌野清志郎、山下達郎、沢田研二、加山雄三…超一流のシンガーから信頼された素晴らしいピアニストです。 私が佐山さんとお会いしたのはごく最近で、2015年の南郷ジャズフェスティバルで私がシンガーソングライターの青羊ちゃんのプロジェクトけもので出演した時で佐山さんは寺井尚子さんのバンドで出演されていました。 それが初対面でした。 つまり、2014年の胃癌の術後。 療養中、ということもあり寺井尚子さんのバンドに絞って活動していた佐山さんに旧知の友人である三木勝弘さんが「ロックバンドのようなトリオをやりましょうよ」と私とドラマー福森康を紹介してくれたのが結成のきっかけでした。 その時佐山さんに私のYouTubeのいくつかの映像を観ていただいたようで音楽監督に私を据えた新しいピアノトリオB'Ridgeをやろうということになりました。 本来、佐山さんのトリオに音楽監督なんて必要ないんです。 音楽について知り尽くした佐山さんのバンドの音楽監督という大役は私にはプレッシャーでした。 奇しくも療養中だった佐山さんは新しいトリオをやるにあたって細かい事務的なことまで及ぶリーダー業務をしない、という思惑が今までの佐山さんのトリオと大きく違うサウンドを作り出すチャンスになりました。 佐山さんと一緒に音を出す前に坪口昌恭さんの東京ザヴィヌル・バッハ@新宿ピットインで演奏していた時に顔を出してくださいました。 大御所なのに丁寧な方だな、と思いました。 その時のドラマー石若駿のプレイを絶賛していました。 初リハーサルは野方のサウンドスタジオノアの最上階でした。 グランドピアノのある部屋で、ドラマー康くんもはじめての音出し。 グランドピアノの蓋が閉まった状態なのに佐山さんの生音が大きく豊かに鳴っていた印象を康くんに伝えたら「結構叩いてるんだけどね(それでも聴こえてくる)」と言っていたのが印象的でした。 佐山さんは康くんを相当に気に入っていて、「青山純、村上PONTA秀一、今は福森康だな」とよく言っていました。 2018年、11月6日にご自宅に面会に伺ったときも、佐山さんがアレンジされたMay J.さんのライブのリハを観に行って、長らく信頼して共演されている大坂昌彦さんのトラで叩いた康のドラムを「もう…バッチリ」と嬉しそうに報告してくれました。 プレイに関して佐山さんは私には何も言いませんでした。 明らかに突っ込みどころ満載な私のプレイをいつもニコニコ、うんうん、と受け止めてくださいました。 曲に関しては「今までに見たことがない景色が見える」と言っていました。 あれだけ幅広く音楽を熟知した方からそういった言葉をいただけることはとても光栄なことです。 B'Ridgeは次の3つのことを心がけました。 ①病後であることを感じさせない新鮮な音楽性 ②以前のキャリアの中のセルフカバーなど懐古的な内容は採用しない ③佐山さんの美しい音色と康くんのパワフルなドラミングにフォーカスする 華やかな佐山さんのキャリアの中でも一番カッコいい佐山さんを観せる、 佐山さんがとにかく奔放に美しさを追求して自由に弾いてもらえる風呂敷を用意する、というのが音楽監督の意図でした。 2018年7月に佐山さんの信頼する森川進さんをエグゼクティブ・プロデューサーに迎え、キングレコードからB'Ridgeはデビューしました。 森川さんはじめキングレコードのスタッフの方々にはかなり迷惑をかけました。 結構な無茶を聞いていただきました。 私とB'Ridge発起人でもう1人のプロデューサーとして明躍していただいている三木さんのコンビはかなり密に連絡を取り合い、時には喧嘩しながらああでもない、こうでもない、と試行錯誤を繰り返しました。 選曲の面でもかなり私の意見を通しました。 音作り、マスタリング、デザイン、スチル、映像、 全て私と三木さんの唐突なわがままをキングチームには受け止めていただきました。 B'Ridgeのライナーは経緯を知り、発起人でもある三木さんに書いてもらいました。 熱のこもったライナーです。 客観的に校正し直し、より読んでいて臨場感のあるライナーになったと思います。 三木さんと私はいかにB'Ridgeを展開していくか恋人のように毎日連絡を取り合いました。 素晴らしいスチルと映像を残してくれたはらまいこさんの素材をどう活かすか。 福西挙夫さんの素晴らしいデザインにも何度も注文をつけました。 はらさんの映像素材を東京想舎のナリオさんと朝まで何時間もかけて山手通りのバーミヤンで組みました。 メジャーレーベルとはいえ一ジャズアルバムを注目してもらえるようなプロモーションは難しい。 最大限にアウトプットできるよう奔走しました。 お蔭で多くの方から反響いただいています。 ![]() 佐山さんは「B'Ridgeの音楽はまだ自分ではよく分かっていない。(ご家族など)身近な人達からはとても反応がいい」と苦笑いされていました。 私としては佐山さんが復調されるという前提を崩さず動いていたので、日本各地でB'Ridgeの話題がでると必ずツアーに来ますからと伝えていました。 次のアルバム制作をするために新曲も準備していました。 この状況でレコ発ライブに向けて新曲は難しいだろうか…と考えていたところ、佐山さんは「新曲?いいじゃない。やりましょう」とおっしゃいました。 レコ発前日にご自宅でリハーサルをしました。 佐山さんはピアノに向かったのは5分ほど、かなりきつそうでした。 新曲は息子の佐山こうたくんに弾いてもらってソファーをドラムに見立ててリハーサル、それを佐山さんに聴いてもらう方法をとりました。 9月18日、ブルース・アレーでのB'Ridgeのレコ発ライブは正直ステージに立てるかどうかの瀬戸際でした。 が、B'Ridgeのライブはこの日でわずか3回目、レコーディング以来の演奏だったにもかかわらず全曲をほぼ暗記されていました。 前日のリハ時にはもうレコ発の演奏曲は頭の中に叩き込まれていたのです。 満員のお客様の前で両手を挙げて登場した佐山さん。 素晴らしいプレイでした。 11月6日にご自宅に面会に行った時、「仏壇の前だと思って」と冗談をおっしゃっていました。 家族ぐるみで付き合いのあった三木俊雄さん、主治医の国分先生、ウィリアムス浩子さん、三木勝弘さん、大野綾子さんと同席でした。 ウィリアムスさんが佐山さんから「(チャップリンの)スマイルのアレンジが思いついたからキーを教えてくれ」と電話でお話しされていたようで、大野さんのピアノとウィリアムスさんの歌が披露されました。 佐山さんが歌詞を口ずさんでいました。 佐山さんが正月に呑もう、と言っていたらしいシャトー・クロワ・ムートン2009年を空け、最終的には賑やかな酒席となりました。 ![]() 「オリリン、肩甲骨の筋肉を剥がすようにマッサージをしてくれ」 とお願いされたので手と肩甲骨をマッサージしました。 11月14日、お昼に佐山さんの奥様から逝去されたとの電話がありました。 そういった状況でしたから驚きはありませんでした。 ただ、やはり今後佐山さんと演奏することが叶わない、という喪失感があります。 まさにぽっかり穴が…というやつですね。 ![]() 佐山さんの最後のお手紙にあるように私も佐山さんとの出会いによって形作られているんだな、と実感しています。
by orihararyouji
| 2018-11-15 15:34
| 佐山雅弘B'Ridge
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